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2013

都市部における災害対応のための リーダシップ養成パイロット研修コースを開催

WHO神戸センターでは、地方自治体において緊急・災害発生時に保健医療支援を担当する幹部職員を対象とした研修コースを開発し、2013年2月24日(日)に20名の参加者を招いてパイロット研修コースを実施しました。この研修コースは、(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構より助成を受けて実施している「兵庫県内地方自治体における災害保健医療関連技術支援強化・イノベーションをめざすリーダーシップ養成プロジェクト(City LHITEプロジェクト)」の一環として実施しています。

研修コースは、地方自治体や都市部の医療従事者や保健衛生分野担当者を対象に、都市部における災害時の健康危機管理および災害対応における技術やイノベーションに関し、その知識とコンセプト、指針、そして対応戦略策定のための知識と理解を深めてもらうことを目的としています。研修は、以下の3つのモジュールに沿って実施します。

  1. 健康危機管理の指針
  2. 健康危機におけるリーダーシップ
  3. 緊急時の技術およびイノベーション

研修コースは、参加型グループワークショップを中心にデザインされており、お互いの経験を共有し、参加者のフィールドにおける経験に根ざした研修内容となっています。研修パッケージは、様々な医療・保健分野のトピックについて、参加者に必要な技術・情報が含まれています。

パイロット研修では、国、そして県、市レベルの専門家や担当者に対し、救急医療情報システム(EMIS)や災害派遣医療チーム(DMAT)といった日本にける災害時の保健医療支援スキームの最新情報を提供すると同時に、公衆衛生におけるリーダシップ研修を実施しました。参加者からは、実際に体験した災害対応や日本で発生した災害時の事例など、様々な実際の経験や事例が出され、この新しい研修コースをより深く理解することに役立てられました。

「City LHITEプロジェクト」における研修コースは、厳正なニーズ分析と健康危機における既存の研修コースを総覧・分析した上で設計されています。イノベーションと技術の分野において、当該プロジェクトのような都市部の健康危機管理、特にリーダーシップの養成に焦点をあてた研究事例は他にはありません。最近発生した大規模災害を通じて、より早くより効率的な医療支援を実施するためには、最新技術やイノベーションを活用しなければならないとの認識が高まっています。

本プロジェクトは、(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構、阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター、兵庫災害医療センター、および長崎大学大学院歯薬学総合研究科との共同研究です。

国際協力・交流のお祭り「ワン・ワールド・フェスティバル」に参加

2013年2月2日~3日 -- 大阪・大阪国際交流センター(アイハウス)で開催された国際協力・交流のお祭り「ワン・ワールド・フェスティバル」にWHO神戸センターも参加しました。

晴天に恵まれ、多くの方々にご来場いただきました。WHO神戸センターの紹介ブースにも500名以上の方々に足を運んでいただき、急激な都市化による健康の公平性の危機、高齢化社会、そしてそれらグローバル問題に取り組んでいるWHO神戸センターの活動について説明を行いました。

また、3日(日)に行われたWHOを含む国連機関・国際機関支援団体6機関(UNEP、アジア開発銀行、UNHCR、世界銀行、日本UNHCR協会、日本WFP協会、WHO)によるキャリアセミナーには、立ち見を含め50名以上の参加があり、各機関の紹介に加え、これから国連機関への就職を目指す参加者との活発な意見交換が行われました。

ご来場頂きました皆様、ありがとうございました。

ワン・ワールド・フェスティバルについてはこちら

中嶋宏元WHO事務局長死去 -- 保健分野に大きな功績を残す

日本人初の国連機関トップとして世界保健機関(WHO)事務局長を務めた中嶋宏氏が26日(現地時間)、フランス西部ポワチエの病院で死去いたしました。84歳でした。

東京医科大学 において 薬理学と神経精医を専攻し、同大から 薬理学と神経精医を専攻し、同大から 医学(士) 及び 博士号を取得。博士課程修了後、パリ大学フランス国立健康医研究所にて 博士課程修了後、パリ大学フランス国立健康医研究所にて 12 年間研究を 行っ た後 日本に帰国し、ロシュの研究ディレクターに就任。

1974 年(昭和 49 年)世界保健機関( WHO )に入職 し、 薬剤政策管理部門チーフ と して、必須医 薬品に関する最初の専門家委員会事務局をつとめ、必須薬品のコンセプト作りに主導的な役割を果たしました。

1978 年(昭和53 年) から1988年までWHO 西太平洋地域事務局 長として勤務。1988年(昭和63年)に第4代WHO事務局長に選出され、1998 年(平成10年) 7月に引退するまで同職を務めました。

現在のWHOにおける多くの成功事業は中嶋氏の功績によるものです。中嶋氏のリーダーシップのもと成功を遂げた主な事業には以下のものがあります。

  • 1995年にWHOが推進を始めた結核のDOTS(直接観察監視下での短期治療)
  • マラリアの媒介昆虫制御
  • 小児疾患の統合管理
  • 小児期における予防接種グローバルキャンペーンの拡大

中嶋氏の数多くの功績の中に、1995年にWHO諮問委員会にてその設立が決定された、WHO健康開発総合研究センター(WHO神戸センター)の設立があります。

現在スイス・ジュネーブにおいて開催中のWHO諮問委員会において、マーガレット・チャンWHO事務局長は中嶋氏の訃報を伝えると共に、「中嶋氏にとって、人々の健康こそが、彼が主導した多くのイニシアティブの原動力でした。中嶋氏が最も力を注いだのがポリオの撲滅です。我々はその達成に近づいています。ポリオ撲滅に向け更なる努力を重ね、中嶋氏への賛辞としましょう」と述べました。

公衆衛生における中嶋氏の貢献をたたえ、WHO諮問委員会では、WHO加盟国、市民団体、WHO職員そして他の参加者による黙祷がささげられました。中嶋氏は、妻であるマーサさん、そして二人の息子さんを残して逝かれました。